#ガラスのうさぎ
8月5日二宮に空襲があった日です。二宮に行ってきました。
二宮に空襲があったのは、1945年8月5日。もうすぐ戦争が終わるのに。
「ガラスのうさぎ」は二宮の空襲でお父さんを亡くした高木敏子さんのお話です。
ざっくりあらすじは次のようにネットでにでていたのでコピーしました。
「空襲を逃れて二宮に疎開していた12歳の敏子は、1945年3月10日の東京大空襲で、東京本所区の工場と実家は焼失、母と妹2人が行方不明になる。
父と焼け跡を訪ね半分溶けたガラスのうさぎを見つける。 父親が新潟で工場を再開することになり、
8月5日、敏子は父と二宮駅に向かう。 そこで米軍機の機銃掃射にあい父を失う。」
機銃掃射というは
飛行機から人をめがけて機関銃で人を打つのです。倒れた人の上を弾が走るのです。
私は中学生くらいのとき「禁じられた遊び」という映画を見て、敵の飛行機が来たので女の子と両親が身を伏せていたとき、連れていた犬が逃げ出して女の子が犬を追いかけたのです。女の子を追いかけて両親が道路に走り出たとき、空から機銃掃射をうけて倒れ、弾が二人の背中を走ったのです。そのシーンが怖くて、忘れられなくて、それが高木敏子さんのお父さんの上にも起きたのです。
東京大空襲のとき、敏子さんは疎開していて、空襲にあわなかったのですが、お母さんと妹さんがなくなり、お父さんは無事でした。
これからお父さんと二人で生きていこうと二宮の駅で汽車を待っていたとき、晴れた空に米軍機がやってきて、機銃掃射でホームにいた人たちを撃ち、敏子さんのお父さんも撃たれて、お父さんは敏子さんの目の前で亡くなりました。
お母さんと妹たちを東京大空襲で失い、今度はお父さんまで亡くなってしまいました。
敏子さんの悲しみはどれほどだったか。まだ12歳でした。
ガラスのうさぎは、敏子さんがお父さんに作ってもらったうさぎなのです。
空襲焼けあとからガラスのうさぎが見つかったのですが、空襲の熱で溶けていたのです。どんなに熱かったことか。ガラスを溶かすような熱で家も人も焼かれたのです。
二宮駅前の像は、敏子さんがガラスのうさぎを大切にもって立っています。
二宮の小学生は毎年、ガラスのうさぎのことを学び、平和について考える学習があるようです。6年生の感想文が壁に貼ってありました。6年生はガラスのうさぎの敏子さんの年です。
感想文をみて、いい平和学習をしているなあ、と思いました。
二宮小学校のほか二校の感想文も張り出されていました。
今日、午前と午後の二回、「ガラスのうさぎ」のアニメも上映されていたのですが、知らなくて、見ることができませんでした。それが残念です。
随分、前、NHKがドラマにして放送されたのを見て、高木敏子さんのことを知り、本も読みました。
駅前にガラスのうさぎの像があります。
「本当の自由のために」の歌詞の一部です。↓
戦争は防衛を名目に始まる。戦争は兵器産業に富をもたらす
戦争はすぐに制御がきかなくなる
戦争は始めるよりも終える方が難しい
戦争は老人や子供たちにわざわいをもたらす
戦争はこころに深い傷を負わせる」
今のウクライナ戦争をみていても思います。
いったん始まった戦争は終わらない。 だから始めてはいけない。
西側諸国が武器をウクライナにどんどん送っているから戦争は終わらない。兵器産業はどんどん儲けている。
早く終われば市民や子供は死ななくてすむのに。
早く終わっていたら、高木敏子さんのお父さんも死なずにすんだ。
そして明日は6日。広島に原爆が落とされた日。
はやく終わっていたら原爆はおとされなかった。
9日には長崎にも落とされた。
二宮では原爆展もあわせて行われていた。
岸田首相はNPTの会議に出席して、核をなくしていくとスピーチしたけど、
核禁条約に批准しないでそんなことを言っても、本気にはとれない。
日本が先頭に立って、核禁条約に署名しないといけないのに。
この子の声をもう一度。
戦争しない国でいるために憲法9条を守り抜き、戦争放棄を貫く国でいてほしい。
もう一度ジュリーにこの歌を歌ってもらいたい。
わが窮状を。久しぶりに聞いてみてください。すばらしい歌です。
あきらめは取り返せない過ちをまねくだけ~
#改憲反対
#国葬反対