伊方原発再稼働反対の署名にご協力ください

大飯原発の次は伊方原発という心配があります。
愛媛県知事は再稼働に前向きらしいというのも聞きました。
 
伊方原発をとめる会HP
 
↓署名用紙ダウンロード
 
先月9月24日から28日まで実家の松山に帰っていました。
ちょうどそのとき翌日25日に松山地方裁判所伊方原発運転差し止め訴訟の第二回口頭弁論があるのを知り、傍聴に行ってきました。
 
口頭弁論では、福島から愛媛県伊予市に家族で避難し、そこでみかんつくりを始めた渡部寛志さんほか2人の意見陳述がありました。
↓原告たちの意見陳述
 
渡辺寛志さんは、テレビの全国放送でも紹介されていた方で、お顔も知っていました。
 
原告たちの意見陳述は↑のHPから見れます。
渡部さんの意見陳述を聞いて、涙が出そうでした。終わった後、私は思わず拍手してしまったら、ほかにも拍手した人がいて、結局たくさんの人が拍手しましたが、止められませんでした。
だから二人目、三人目のときはもっと堂々と拍手しました。
 
渡部さんはもし伊方原発で事故が起こったとしたら・・・
それを知った瞬間、人々は何を感じ、どんな感覚に陥るでしょう。何を思い考え、どんな行動をとるでしょうか。福島第一原発で起きた出来事をここ伊方原発に置き換えてみますと
・伊方の36才 2児の母は、爆発音を聞き、絶望を感じ、「もう終わった」と思います。そして避難移動中吐き気に襲われます。その後は家に戻る許可が許されません。
八幡浜の32才の2児の父(原発から12キロ)は、恐怖を感じ「背筋が凍りつく」感覚を覚えます。そして恐怖から逃げるために必死で走りだします。その後は家に戻れるかどうかわからなくなります。
・大洲の49才の女性(原発から25キロ)は、混乱し「その事実を疑い」ます。窓を閉め、テレビを見ながら間違いであることを祈ります。そして自治体から自主的な避難を勧められ避難します。その後は自治体から戻るように促されます。
・松山31才の1児の母と32才2児の母(原発から50キロと60キロ)は、不安を感じ、「このままじわじわ死ぬのかな、死ぬならみんなで死にたいな」と思います。子どもへの影響を危惧し、逃げるべきかの判断に迫られます。そして車に乗って、新幹線に乗って、飛行機に乗って逃げます。
 その後は鼻血・腹痛・強い精神的ストレスにさらされながらの日々を強いられます。
原発に近い住民ほど、家族、親族が事故処理を行う作業員として現場に赴きます。250ミリシーベルトまでの被曝にさらされて。
これは想像の話ですが、嘘ではありません。福島原発の立地する双葉町原発から12キロ離れた私自身、原発から25キロ離れた南相馬市民、原発から50キロ離れたいわき市民、原発から60キロ離れた
北茨城市民がそれぞれ実際に感じた考え、おかれた状況です。
 
渡部さんは「最後に改めて、絶対に愚かな過ちを繰り返してはならない。そのために伊方原発を動かしてはならない。それは福島を救うことに繋がり、私たちの子孫に対する責任であるということを強く主張し私の意見とさせていただきます」と意見陳述を結ばれました。
 
渡部さんの意見陳述の一部です。詳しくは↑のHPから見れます。渡部さんは愛媛大学出身で、学生時代を過ごした愛媛県に避難してこられました。
愛媛大学教授村田武氏は環境汚染についての意見陳述、松浦秀人氏は胎内被爆者としての苦しみを訴えられていました。お二人の意見陳述も↑のHPから見れます。
 
署名は来年3月締切までに40万筆集めたいそうですが、まだ8万筆ほどしか集まってないそうです。
どうかご協力お願いします。
私は今、70筆集めていますが、100筆になったら「伊方原発を止める会」に送ろうと思っています。
 
署名用紙をダウンロードして↑、署名用紙に書かれている送り先に送ってくださるようお願いします。
 
↓裁判の後報告集会の行われた県立美術館講堂のある堀之内公園から見上げた松山城
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