国葬に反対したわけ

毎日のように雨がやむと太陽を追っかけたけど、ダイヤモンド富士は湘南では結局見れなかった。来年の4月こそ見えますように!と。

そしてダイヤモンド富士おっかけがおわった9月29日は国会前に集合!

カメラじゃなく、プラカードをもって国会前に行きました。

この日は行かねばならないと思って、多くの人がかけつけて、8月31日は5000人だったけど、国葬の日は1万5千人集まりました。

そのほかには日比谷公園に集まった人もいたし、武道館前でデモもあり、

国民の半数以上が国葬反対に声をあげました。

藤沢からも10人ほどが参加しました。

なぜ国葬に反対するのか。

安倍政権の8年8か月の間。

びっくりしたのは菅元首相は

友人代表として追悼の辞を述べた菅義偉前首相は「安倍総理がいたから、特定秘密

保護法、平和安全法制、組織犯罪処罰法(共謀罪法)などを成立させられた」などと安

倍政治を賛美。「日本にとっての真のリーダーだった」と述べました。

その特定秘密保護法、平和安全法制(戦争法)共謀罪法など、すべて多くの市民の反対の声を無視し、国会で強行採決をして成立させた。そして、平和安全法とはなんぞや?と一瞬思ったら、安保法制つまり戦争法は、集団的自衛権を認めた憲法違反の法律です。

日本を戦争できる国にした悪法3つを国会審議も途中で打ち切り、強行採決で成立させたのです。

日本の行く末を変えた3法です。

戦争は年よりが始めて、若者が死ぬの典型となる法律です。

秘密保護法は2013年12月6日に強行成立しました。その日、こんなに多くの市民が官邸前に集まりました。

2014年には集団的自衛権憲法違反ではないと閣議決定

ずっと代々内閣法制局長官集団的自衛権憲法違反であると言ってたのに、当時の安倍首相はそれでは日本を戦争できる国にできないと思い、内閣法制局長官を強引に自分の意をくんでくれる人に変えた。

それで集団的自衛権憲法違反ではないというお墨付きをもらって、閣議決定

2015年の安保法制成立につなげた。この法律のどこに「平和」という言葉がつながるのか。

アメリカがどこかで戦争してたら、同盟国である日本は、よその国の戦争に首を突っ込めるようになる法律。若者が戦争に行く法律。

自衛隊が行くから自分には関係ないと思っている人たち。

今のロシアをみてればいい。兵隊が足らなくなって、予備役の招集がきまり、多くの若者が兵役を逃れるために外国に逃げています。

戦争になったら、市民は戦争の弾になってしまうのです。

戦争しない政治。戦争しない外交をしてくれる政治を私たちは求めるのは、憲法をかえて戦争できる国なってもいいのですか?

多くの反対の声も、そのうち市民は忘れるといって、強行採決されてしまいました。

2015年9月19日 非情にも安保法制は強行成立されてしまいました。

その日、私はブログにドラえもんもしもボックスを思い出しました。

<ドラエモンでもしもボックスというのがありました。

もしも日本が戦争できる国だったら・・・ともしもボックスの中で言ったら

朝、目がさめたら日本が変わっている。

でもこれは夢でももしもボックスのせいでもない。>

この法律を「平和安全法」という菅元首相。あなたはもう戦争に行かない人だからそう言えるのでしょうか。この法律の成立を心配して多くの若者が声をあげ、そして空しく去っていきました。

2017年には共謀罪法の強行成立。

閣議決定反対を訴えて雨の中もたちました。

共謀罪法も2017年6月6日に強行成立。

 

これらの法律は憲法を無視し、市民や野党のたくさんの反対の声を無視し、安倍元首相は強引に成立させました。

そして、憲法を変えて、戦争できる国にしようとしていました。

 

戦争は、始めたら終わらない。

戦争しないと誓った憲法がいかに大切か、考えてほしい。