「花はどこへ行った」 ピートーシーガーさんを偲んで

ピート・シーガーさんが亡くなられました。
94歳だったそうです。
ピート・シーガーさんを最後にテレビで見たのは、2009年1月のオバマ大統領就任式のときでした。
就任記念コンサートのときでした。そのとき89歳だったそうです。
 
ピート・シーガーさんといえば
We shall overcome (勝利をわれらに)
 
今、秘密保護法廃止を訴えてデモをしたり集会に参加したりしているとき、私は心の中でいつも
We shall ovecome を歌っていました。
ここでみんなで歌えばいいのになあ、と思っていたのですが、歌詞を見たとき、今こそ歌いたいときではないかと思いました。

そして 
Where have all the flowers gone (花はどこへ行った)

この歌は1955年にピート・シーガーさんが飛行機の中で20分くらいで作ったそうです。

この歌が反戦歌として世界中で歌われるようになったのはベトナム戦争のとき。
ベトナム戦争は、予想はるかに超えて長引き、アメリカの圧倒的な物量に対し、ベトナムは一般市民も巻き込んで徹底的なゲリラ戦術。泥沼化していった。
その戦闘の様子はアメリカで報道され、世論は反戦に傾いていった。
ケサン海軍基地の兵士が「花はどこへ行った」を歌った

カタリナ・ビットはリレハンメルオリンピックのとき、ボスニアの内戦への抗議を示すために「花はどこに行った」に合わせて銀盤を舞った。

初めて外国語で歌って、死ぬまでこの歌を愛した女優はマレーネ・デートリッヒ。

2000年にNHKのBSで放送された「世紀を刻んだ歌 花はどこへ行った~静かなる祈りの反戦歌」が数年前にアーカイブスで再放送され、そのとき録画していたので、今日はそれを見なおしてみました。
ひょっとしたら、ピート・シーガーさんを偲んで、再放送があるかもしれないので、番組を注意してみておいたらいいかもしれません。

Where have all the flowers gone (花はどこへ行った)誕生物語
ピート・シーガーさんは第二次大戦から労働、反戦公民権運動などで活躍していて、彼が1949年に作ったバンドで歌う曲がヒットしましたが、1950年代のアメリカは反共の嵐で、ピート・シーガーさんも共産主義と疑われ、1955年には音楽活動ができなくなってしまった。その絶望の中で「花はどこへ行った」が生まれた。
そのころ、ピート・シガーさんは、ロシアのショーロホフの書いた小説「静かなドン」を読んで、その中の「コサックの子守歌」から「花はどこへ行った」のヒントをえたそうです。
それは100年前にコサックの青年が軍隊に入る話。

「花はどこにある? 少女が摘んだ」
「少女はどこにいる? 結婚した」
「男たちはどこにいる? 軍隊に入った」

ピート・シーガーさんはその三行をメモした。
そして1955年オハイオ行きの飛行機に乗っているとき
Where have all the flowers gone と
どんどんメモをしていったら確か20分で3番までできたのだそうです。

 1.Where have all the flowers gone? (花はどこへ行ったの?)
Girls have picked them everyone (少女たちが摘んでいった)
 2.Where have all the young girls gone? (少女たちはどこへ行ったの?)
   They’ve taken husbands everyone  (男たちのもとに嫁いでいった)
 3 Where have all the young men gone? (男たちはどこへ行ったの?
  Gone for soldiers everyone (兵士となって戦場に行った) 
 
  When will they ever learn? (人はいつになったら悟るのか?)

ピート・シーガーさんが作ったのは3番までで、その続きを作った人がいたのです。
「兵隊はどこへ行った」「墓はどこへ行った」
 
ピートさんが作った3番までの続きに4番5番を作った人が民族音楽研究家のジョー・ヒッカーソンさん。
大学院生のとき みんなでよく歌ったけど、短かすぎてすぐに終わってしまうので
続きを作ったそうです。

4番 Where have all the soldiers gone (兵士たちはどこへ行ったの?)
  Gone to graveyards everyone (みんな死んでお墓に入った)
5番 Where have all the graveyards gone (お墓はどうなった?)
  Covered with flowers, everyone (花に覆われた)

ジョー・ヒッカーソンさん「この歌詞は映画で見た墓地や戦場、花畑のシーンから思いついた。4番と5番を付け加えて、1番に戻る歌にした」

ピート・シーガーさんがヒントにしたショーロホフの「静かなドン」の中のコサックの子守歌とは長い子守歌の最後の部分

あしの葉はどこへ行った?
少女たちが刈り取った
少女たちはどこへ行った?
少女たちは嫁いで行った
どんな男に嫁いで行った?
ドン川のコサックに
そのコサックたちはどこへ行った?
戦争へ行った

「静かなドン」は第一次世界大戦からロシア革命にかけてコサックの青年が苦労していく話。
「コサックの子守歌」は主人公が故郷で暮らしていた平和な日々にでてくる。
 戦争は戦場にだけあるのではなく、普通の家庭に繋がっていること
戦争はひとりの例外もなくすべての人に関わることをショーロホフは伝えたかったのだろうと、ショーロホフの娘さんは語っていました。
 
ピート・シーガーさんは「花はどこへ行った」の歌のことをショーロホフに伝えていたのです。
「静かなドン」からインスピレーションを得てこの歌を作ったことを手紙で伝えていたのです。歌の譜面も同封されていたそうです。
モスクワで開くコンサートにショーロホフを招待していたけど、ショーロホフは病気になっていて、この歌を聞くこともなく亡くなったそうです。
 
ショーロホフが「静かなドン」に込めた平和の祈りがひとりのフォークソングシンガーの心に届き、世界を代表する反戦歌になった。

2000年8月6日 ワシントンDCで開かれたイラク経済制裁反対集会があり、イラクへの経済制裁に反対するデモが行われ、各地の反戦団体が集まった。
ピート・シーガーさんも招かれて、そこで「花はどこへ行った」を歌ったのですが、
最後を ピートさんは
When will we ever learn?
と歌っていました。

ピート・シーガーさんは、第三次世界大戦が起きることを恐れていたそうです。
小さな戦争が起きるたびに、大きくならないかと心配していたそうです。

今、日本では「もはや戦後ではない!戦前だ」と言われるようになってきています。

若者たちが「秘密保護法」に反対する声をあげ始めています。
2月1日には
特定秘密保護法に反対する学生デモがあります。
2月1日14時~15時30分  新宿柏木公園集合
詳しくはこのブログのひとつ前のブログを見てください。↓

1月26日にはU-20のデモも行われました。↓

安倍政権は、すでに内閣法制局長官を変えて、日本国憲法9条を変えないで、集団的自衛権を行使できるように解釈改憲をしようとしています。

国民の知る権利、言論の自由を封じ込め、日本から民主主義を抹殺する秘密保護法を強引に成立させました。

これから、共謀罪法案、国家安全保障基本法案など、戦前にもどる法律が次々と準備されています。

私たちこそ今、言いたい。安倍政権に伝えたい。
When will we ever learn?

ピート・シーガーさんのご冥福をお祈りします。

ピート・シーガーさんからのメッセージ
「花はどこへ行った、は小説のアイデアをもとに私が歌詞とメロディをつけました。そしてジョーがリズムと4番5番を加えました。 将来、こんな風に世界ができていくと思います。多くの人々が自分たちにできる何かを少しずつ加えて形になってゆくのです。」