# 選挙に行こう!

FBより

選挙に行こう!!!
「おじさんあの日何してたの?」
この問いに答えられない恥ずかしい大人にならないために!!
いよいよ選挙が近いた。与党は、「憲法は争点ではない」と言う。これまでの「実績」からすると「勝ったんだから国民の信任を得た」と言うんだろう。新聞は「改憲勢力が三分の二に迫る勢い」と書いている。
ともかく選挙に行こう!なにはともあれそう言いたい。みなさん選挙に行きましょうよ!!と。「民主主義ってなんだ」と昨年から問われ続けている。いろんなことを考えるのだが、ともかく「参加すること」、「責任を負うこと」だと言いたい。
二年前。2014年の衆議院選挙で自民・公明は圧勝した。だが投票率は53%。これは過去最低の数値だった。実に二人に一人しか投票に行っていないことになる。そして投票した内の二人に一人が自民党に投票。自民党の得票率48%。そもそも投票率が半分しかないので、全有権者からすると25%、4人に一人が自民党に入れたことになる(4人に3人は入れていない)。にも拘わらず自民党議席占有率は75%にも上った。これが小選挙区制。しかし、これでは、与党も胸を張れないだろうに。
民主主義は数の問題ではない。「最も小さくされた人」の呻吟によって問われ、それでもなお残るものが民主主義だと考えてきた。しかし、この間の選挙と投票(率)の現実を見ると、ともかく一人でも多く選挙に行こう!と言いたい。それは、単なる数の問題ではない。責任の問題だ。
今回の選挙の争点は憲法改正だと思う。どんなにごまかしても選挙で改憲政党が三分の二を占めれば、必ず改憲に向かって動き出す。「解釈改憲」などとわけのわからないことを言わずとも、9条を破棄することで名実ともに「戦争ができる国」になれる。いずれ私ではないにしても、誰かが、特に若者たちが戦争に行くことになる。
しかし、改憲か、否か、ということ以上に問題なのは、前回同様の投票率で終わると二人に一人は判断すらしないこととなる事だ。一部の人の投票でいつの間にか戦争が始まる。当然この結果は、投票に行かなかった人にも及ぶ。「そんなの聞いてないよ。だいたい投票なんて行ってねえし」なんて言っても後の祭り。投票は一部でも結果は全員に及ぶ。
繰り返す。結果は棄権した人にも及ぶ。だが、もっと深刻なのは、今回の結果が、この時点で選挙権を持っていない子どもたちにも及ぶことだ。いずれ戦場に行かされるのは、私のようなあたまの禿げたおじさんではなく、今回投票権すら持っていない子どもたちだ。僕の息子やまだ見ぬ孫たちが戦場に行かされる。
そんな時代にもしなったなら、いずれ当時の子どもたちは大人たちに問うてくる。「おじさん2016年の選挙でどこに入れたの」と。
改憲賛成・反対いずれにしても、この問いに答えることのできる責任ある主体であらねばならない。だから選挙に行こう!「棄権しましたので答えられません」などと、そんな無責任なことを子どもたちに言う恥ずかしい大人になってはいけない。
ナチス共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者でなかったので何の行動も起こさなかった。その次にナチス社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが自分は社会主義者ではないので何の抗議もしなかった。
それからナチスは学生、新聞人、ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、そのたびに私の不安は増大したがそれでも私は行動に出なかった。ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから行動に立ち上がったが、その時はすべてがあまりにも遅かった」。神学者であり、牧師であったマルチン・ニーメラーは、自らが「傍観者」であったことを後に悔いた。
彼は、一次世界大戦を潜水艦長Uボート)として過ごし、その後に牧師となった。1937年ナチスに逮捕されダバウ強制収容所に送られた。大戦後に釈放され平和運動また東西ドイツ分裂後のドイツ統一運動に尽力した。しかし、彼が自らの責任に気づいた時は、すでに遅かったのだ。
あまり知られていないようだが、ドイツでは第二次世界大戦敗戦後、再出発に際して一つのアンケート調査が全国民に実施された。連合国からの要求によるものではあったようだが、ナチスという罪責の歴史を踏まえて再出発する国民にとって大変有意義であったと言われている。
「あなたは1933年の選挙においてどの党に投票しましたか」。すなわちナチスが台頭した選挙である。これに答えることが戦後ドイツの原点となった。「私はナチスに入れた」「私は入れなかった」。各自が、その事実に責任を持つことが戦後ドイツのスタートとなった。「選挙に行きませんでした」では、何も生まれない。
最後に繰り返しいう。ともかく選挙に行こう!「あなたは2016年の選挙でどこに投票したのか」といずれ問われることを忘れてはならない。答えられない恥ずかしい大人にならないために。