丸木美術館

8月25日に藤沢市と平和の輪を広げる実行委員会主催のピースリングバスツアーで埼玉県東松山市にある丸木美術館と東京夢の島にある第五福竜丸展示館に行ってきました。
参加者は18人、スタッフ5人。

8月22日に台風7号が関東地方に上陸して、その後も天気がぐずついていたのですが、25日はいい天気でした。
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丸木位里さんは、広島の出身で、原爆が投下されたときは東京におられたのですが、原爆投下を知って、位里さんは数日後に俊さんも一週間後に広島に行かれました。そこで一ヶ月滞在し、被災者の救出にもあたられ、広島で見たこと、被爆者から聞いたことを「原爆の図」にあらわされたということです。

そして東松山のこの地に美術館をつくられたのは、美術館の裏に流れる都幾川が広島の太田川の流れに似ていたからだそうです。
美術館の前の栗の木には栗の実がたくさんなっていました。
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美術館の中の絵は撮影できないので、ミニガイドブックの表紙の絵。
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この図は屏風8枚で構成されていて、この表紙はその中の1枚。
原爆の図15部あるなかの第1部 「幽霊」
アメリカ軍の占領下では報道、写真などは規制が厳しかったそうですが、これは絵なので規制されなかったそうです。この絵は大げさに書いてあるのではないかと言った人もいるそうですが、広島の被爆者は、この絵はきれいすぎると言ったそうです。

丸木夫妻の原爆の図は、きのこ雲や原爆ドームは描かず、きのこ雲の下で地獄の炎に焼かれて死んでいった人たちの姿を描いています。きのこ雲の下の中で奪われた命は人間の命に限らず、犬、猫、馬も描かれています。妊婦、赤ちゃんを抱いた母親、幼い子供、お年寄りが描かれていました。

原爆の図は全部で15あり、丸木夫妻はそのうち8部までを藤沢の片瀬目白山アトリエで描いたそうです。私は丸木夫妻が藤沢に住んでいたということを知りませんでした。

ミニガイドブックより↓
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原爆の図1部「幽霊」2部「火」3部「水」の三部作が完成したら、丸木夫妻は日本全国に巡回展の旅に出たそうです。

丸木夫妻は被爆国としての被害者としての立場だけでなく、戦争の加害者からの絵も描いています。

私たちが訪れたとき、赤ちゃんのいる若いカップルや、夏休みの小学生の姿もありました。
今の時代、若いのにここを訪れるなんてえらいなあ、と思いました。

第一部の「幽霊」は、原爆投下後の写真は残っていますが、写真にはない地獄の図です。息をのむ思いで見ました。

いっしょに参加した友達は2回目だということで、私もまた参加してもう一度ゆっくり見たいと思いました。
安倍首相は広島、長崎の式典では核兵器廃絶という言葉を使っていましたが、核不拡散条約には世界で唯一の被爆国である日本は賛同しない。
また、アメリカ有力紙「ワシントン・ポスト(8月15日付)は、オバマ大統領が導入の是非を検討している核兵器の先制不使用政策について、安倍晋三首相がハリス太平洋軍司令官に反対の意向を伝えていたと報じた。(安倍首相はそんなこと言ってないと否定していますが)

今年の長崎の平和祈念式典で、長崎市長は平和宣言の中で次のように訴えています。
<今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集してください。
 日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英知」を行動に移すリーダーシップを発揮してください。>
世界で唯一の被爆国の総理大臣である安倍首相が耳を傾けるべきはこの平和宣言です。
政治家は想像力を働かせてほしい。原爆がどれほど非人道的な兵器であるか。原爆資料館、丸木美術館を訪れてほしい。
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<ピカは人がおとさにゃ おちてこん>↓  スマの言葉(スマさんは位里さんのおかあさま)
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6月25日から9月24日までの企画展示は四国五郎展です。
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四国五郎という人を知らなかったのですが、シベリヤ抑留の絵、おこりじぞうの絵本を書き、詩人峠三吉の詩の挿絵を描いた人なのだそうです。
おこりじぞうと言えば、私の娘が小学低学年のとき、読み聞かせでこのおこりじぞうを読んでもらって、とても怖かったと、今も言っています。
私は初めてこの日、おこりじぞうの絵本を手にとってみました。
確かに怖い。でも描かれた絵のような怖いことが実際にあったのですから、本当に怖い。
「おこりじぞう」とは
被曝した少女が亡くなる前、水がほしいというけれど、水がない。少女を抱いたお地蔵さんが涙を流してその涙が少女の口もとに落ち、その涙を口にして少女は亡くなったという童話。お地蔵さんの目から涙がでているけど、お地蔵さんの顔は怒りに満ちていた。

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                               写真の右下にカーソルをもっていくと拡大マークが出ます↑

丸木夫妻がアトリエ兼書斎に使用していた小高文庫↓ 現在は図書室兼休憩室
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↑ここでお弁当を食べました。
窓から木々の間から都幾川がみえます。
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台風7号が22日に関東地方に上陸して、たくさんの雨が降って、各地の川が溢れそうになったので、この川の河川敷にある草が川の水でなぎ倒されていました。
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丸木美術館を出て、次に向かったのは東京夢の島にある第五福竜丸展示館。
それは次に続きます。