「臨界幻想2011」を観ました。
1981年に「近未来」と時を設定して初演されたドラマ。
だから今回の「臨界幻想2011」のチラシにある「今はもう未来なのか? この30年間は何だったのだ!」という言葉の意味がわかり、その言葉がずしりと胸に響きました。
青年劇場の代表のお話(パンフレットより)によると「原発事故後、私たちは作者のふじたあさやさんと話しあい、やはり上演すべきだろうということで一致しました。そして新たに演出もお願いし、福島原発事故を受けた『臨界幻想2011』として脚本にも手をいれての東京公演を行いました」ということです。
物語は「青年が死んだ。死因は心筋梗塞。未来産業とあこがれ、原子力発電所に就職して7年目のことだった。残された母は、息子の本当の死因は何だったのかと疑問を抱き、真相を追い求めていく。そして隠された真実は明らかに・・・」
物語の中で印象に残った言葉。
「富む原発の町 心貧しき」
「おそまつな技術のしりぬぐいを原発労働者がさせられている」
「無理して原発を作らねばならなかったのか」
「放射能は見えなかった。」
原発作業員が何人も被ばくして病院に運ばれていても、病院もいっしょになって、政府も電力会社もその実態を隠しており、
防護服を着て、マスクをしての作業は能率があがらなく、アラームをとめ、マスクをはずす。それがその日のうちに作業を終わらせないといけない下請けの人たちが被曝していった実態でした。
舞台上のスクリーンにうつし出された原子炉の写真をみて、原発による発電のしくみが説明されましたが、今はとてもよくわかりました。
2年前、原発事故の直後、何度もテレビで映し出されたのと同じ原子炉の写真でした。
これは今、見なければならない物語だと思いました。
物語は、ついに原発で大きな事故が起きて、原発敷地内の放射能測定器の針が降り切れて、住民に知らせるより先に電力会社の社員は逃げていき、放射能測定器のアラームが市民会館大ホールに鳴り響くなか、終わりました。
休憩をはさんで上演は2時間20分でしたが、あっという間でした。
今はもうあのときの未来なのか。
これはもう未来ではなく、物語でもなく、今現在、起きていることなのです。
青年劇場の舞台を初めてみたのですが、役者さんが複数の役を演じているのです。
毎朝新聞の記者は原発労働者も演じていました。
おもしろい。
10億年に1回で、それはヤンキースタジアムに隕石が落ちるのを心配するようなものであるとされていましたが、それには憂慮する科学者同盟が反論し、その後スリーマイル島の原子力発電所の事故がおき、チェルノブイリの事故があったのに、日本ではラスムッセン報告にしがみつき原発安全神話をつくりあげていったのです。
青年劇場代表 福島明夫氏の挨拶より
「それから30年、、一昨年の3月の福島原発事故は、私たちにとって大きな衝撃でした。確かに30年前に「臨界幻想」を東京のみならず、全国各地で上演はした。しかし、それは不十分だったという痛恨の思いです。演劇上演活動を繰り広げれば世の中が変わるとは思いません。しかし、今を生きる表現者として、私たちも時代の当事者であり、伝えるべき中身はあるのだとう思うのです。まして作品で描いた廃墟が現実のものとなったのです。」
この後3月6日に郡山市民文化センター(福島県)7日に仙台市民会館(宮城県)9日に秋田県民会館で上演されます。
「臨界幻想を観る会」がもっと作られて、もっといろんなところで上演されることを願っています。
舞台の中で何度も言われた「放射能は見えなかった」。
自由に使ってくださいということなので、ここに紹介します。
放射能に赤い色がついていたら・・・