お墓参り~冨士山(とみすやま)~臥龍山荘

3月22日の金曜日に松山から戻ってきました。
 
20日の春分の日は雨でしたが、21日は晴れて、20日に私と交代にきた妹夫婦といっしょにレンタカーで父のお墓参りに行きました。
お墓は八幡浜市にあります。松山から八幡浜まで1時間半くらいのドライブです。
八幡浜市伊方原発から30キロ圏内にあり、瀬戸内海沿いの国道56号線を通って八幡浜にいくときは、八幡浜に近づくと右手前方に海に突き出た伊方原発の建物が見えます。
写真は2011年11月11日に、伊方原発正面ゲート前で毎月11日に行われている原発反対の座り込みの応援に行ったときに撮った写真。
今回は内陸の高速道路を使ったので、伊方原発は見えません。
次の再稼働の候補に伊方原発があがっています。
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お墓は都会の公園墓地とは違って、山の中腹にあるので、お参りの前に落ち葉掃除が大変でした。
八幡浜もあちこちで桜が咲いていました。
これは↓父のお墓から近くの山を撮った写真。
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お墓参りをして八幡浜から大洲に行きました。 途中桜と菜の花がきれいに咲いていました。車の中から↓
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大洲は母の故郷で、私たちの従姉(母の姪)がいます。
大洲には冨士山(とみすやま)という山があります。
司馬遼太郎の「街道をゆく」にも取り上げられている山。ただ「街道をゆく」のなかで冨士山の「冨」の字がウカンムリになっているそうなのですが、冨士山(とみすやま)の「冨」はワカンムリです。
↓写真は肱川にかかる橋からみた冨士山(とみすやま)。 富士山(ふじさん)のようなきれいな形だということから冨士山という名がついたそうです。標高319.6m。つつじの名所だそうです。
肱川愛媛県で一番大きな川。
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大洲市には臥龍山荘という愛媛県有形文化財となっている素晴らしい建造物があります。
臥龍山荘には臥龍院、不老庵、知止庵 日本庭園があります。
司馬遼太郎は「街道をゆく」の取材で臥龍山荘を訪れています。
 
臥龍山荘の不老庵 肱川対岸から。
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臥龍山荘には何年か前の夏、父のお墓参りの帰りに行きました。
今回、臥龍山荘の中には入らず、対岸から不老庵を見たのは、臥龍山荘の本の表紙と同じところから不老庵を見たいと思ったからです。
 
臥龍山荘の本 ↓Amazonでも買えます。1500円。 発行者は大洲市です。イメージ 6
 
実はこの臥龍山荘を建てた河内寅次郎という人は私の母の親戚なのです。
大洲市に住んでいる私の従姉(母の姪)がこの本を母に送ってくれたのです。
 
数年前に臥龍山荘を訪れたときは臥龍山荘を建てた河内寅次郎さんのことも臥龍山荘のことも詳しくは知らなかったので、母にこの本を読んできかせながら、寅次郎さんのこと、臥龍山荘のことを勉強しました。本を読みながら母に質問するとちゃんと答えてくれました。
母のリハビリにもなりました。
 
↓不老庵の中にも入れて、肱川を見下ろせます。
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臥龍山荘(臥龍山荘HPより)
清流肱川河畔でも優れたこの景勝の地に初めて庭園を造ったのは、文禄の昔、藤堂高虎重臣、渡辺勘兵衛です。その後、この地をこよなく愛した泰恒公は、吉野の桜・龍田の楓を移植し、庭園に一層の風致を加えました。幕末まで歴代藩主の遊賞地でしたが、補修もされず、自然に荒れてゆくままでした。
 現在の臥龍院、不老庵、知止庵の数奇屋造りの三建造物は、明治の貿易商河内寅次郎氏が十年かけて築いたものです。
 やがて臥龍山荘は、昭和31年9月に大洲の名勝として大洲市文化財に指定され、さらに昭和60年2月臥龍院、不老庵が愛媛県の県有形文化財(建造物)に指定されました。
 
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                                                      ↑不老庵
 
臥龍山荘の施工者は、大洲の棟梁・中野虎雄と京都の名大工・草木国太郎。桂離宮修学院離宮などを参考に、材を吟味し、卓越した技を用い、地方には稀な名建築を作り上げた」とこの本に書いてあります。数年前にここを訪れたときは、そのような知識もなく見てきたので、またお墓参りのときにここを訪ねて、じっくり鑑賞してみたいと思っています。(写真の右下にカーソルをあてて拡大をクリックしたら写真が大きくなります)
 
大洲市のHP↓に臥龍山荘のことがでています。
 
臥龍山荘は昭和51年に大洲市に寄付を申し入れ、土地を大洲市が買収し、建物は寄付するという形で昭和53年から大洲市が維持管理することになりました。