双葉町元町長井戸川克隆さん 東京本社前街頭演説
政府は原発事故がなかったことのようにしたい、東電も補償はできるだけケチりたい。福島第一原発の事故の原因も究明されないまま、被害者の住民の補償も終わらないうちに、柏崎刈羽原発を動かそうとしています。政府はそれを後押ししようとしています。
命よりお金が優先する政治を止めないといけません。
東電前での井戸川さんの叫びを聞いてください。
井戸川さんについては1月28日に「フタバから遠く離れて」という映画を見たときのブログに書いてあります。
井戸川さんは藤沢の上映会のときに来てくださる予定だったのですが、 町長を辞任せざるをえなくなり、この日の映画会に来た人たちへのメッセージが届いていました。
1月28日のブログをもう一度ここに載せますので、読んで、ください。
1月28日のブログより
今日は藤沢市民会館小ホールでドキュメンタリー映画「フタバから遠く離れて」を見ました。
映画を主催したのは阿部とも子とあゆむ会で、阿部ともこさんは藤沢中の人たちにこの映画を見てもらいたかったと挨拶のときに話していました。400人入る会場に半分くらいだったでしょうか。
この映画をみて、憤りと悲しみが湧き上がってきました。
福島原発1号機の爆発の映像から映画は始まりました。
騎西高校での避難生活の様子が9か月にわたって記録されています。
双葉町の家に一時帰宅のとき、帰ってみたら、家は土台しか残っていなくて、持って帰るものもない。
津波で亡くなったお母さんに花を供えるのが精いっぱい。でも水も瓦礫も何も触ってはいけないと、息子は父に大きな声で言っていた。持ってきた荷物から線香を探すが見つからないので、時間がないから線香はもういいと息子が父親に言っていました。
帰れるのは家族でふたりだけだから、ほかの家族がもってきてほしいものをメモして、それをみてめちゃくちゃに壊れた家からもって帰るものをさがしていた家族。まだ家があるからなんとか持って帰るものを探すことができた人たち。
昨年12月に井戸川町長への不信任案が可決され、井戸川町長は前の日記にも書きましたように
1月23日に辞任しました。
辞任のいきさつはhttp://www.labornetjp.org/news/2012/1225idogawa ←をぜひ読んでください。
↓そのなかから
騎西高校は唯一残った避難所として、今も160人の町民が暮らしている。一方、福島県内では佐藤雄平知事、福島県立医大を中心に事故の被害を最小化するためのキャンペーンが張られ、「除染をするから帰還せよ」という政策がとられ続けてきた。井戸川町長はこの安易な帰還政策に反対し「チェルノブイリ基準」を示しながら「福島県内の多くの場所は、今なお人が住んではいけない汚染状況にある」と訴え続けた。すべては、目に見えない放射能から、子どもたちの未来を奪ってはならないという思いからだ。
井戸川町長はご自分で福島の避難基準とチェルノブイリの避難基準を比較して表を作られています。
福島の避難基準はチェルノブイリの4倍も高い。
井戸川町長は「双葉町・町民がふるさとに帰還するにあたっての放射能除去の目標値は国際放射能防護委員会(ICRP「2007年勧告」)の示す一般住民の年間積算被ばく線量の上限1ミリシーベルトを訴えていたのです。
チェルノブイリでは強制避難地域としているような高い線量の地域を日本政府はどうして居住可能としたのか。
政府は帰宅困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の三つに分けました。
これは住民の健康や安全を考えて分けられたのではなく、これらの地域は賠償金の金額が違い、賠償金のありかたでわけられたのです。いかに非人道的な考え方によるものかがわかります。
双葉町がどこにあるのか。原発事故からもうすぐ2年。テレビで地図を見ることもなくなった私たちは、双葉町の位置さえすぐには浮かんできません。写真の右下にカーソルをもっていくと「拡大」が出ますので、拡大して確認してください。
双葉町の人たちは、東電や政府にふるさとを返せ、故郷に自分たちを戻せと訴えるデモをしていました。
でも帰れるわけはないのに訴えている自分たちもうそをついているし、東電も政府もうそばかりつき、誠意をみせていないと言っている顔はとても悲しげでした。
井戸川町長が現状を訴える発言をしたときには、ふたりとも席を立っていたのです。
今回の事故で、日本政府と東電の対応はとても似通っていた。事実の公表をさけ、「健康にはただちに被害はない」という文言に終始する。政府不信が肥大化しました。
被ばくの恐怖の報道は関東圏が中心で、事故報道は福島第一原発が中心。日がたち、事態が日常化するにつれ、もっとも被害の大きい避難所の人々が無視され続けることに疑問を持ちました。
(中略)
双葉町の人々は、自分の家に帰られるのかどうか?自分の持っている家や財産はどうなるのか?基本的な質問に対する回答が永遠に引き延ばされ続けています。その時間を記録しなければならない。それは忘れてはならない。
(中略)
人の繋がり、風土、郷土と歴史、というのも消え去りつつあります。それに対する償いは誰も用意できていません。簡単に用意できるものではありません。
そして私たち東京近郊の人間は、そんな福島で作られた電気を使い続けてきたのです。私たちは、この原発事故の当事者なのです。
このわれわれも加担してしまっている犠牲のシステム・原発をどうやっていくのか、考えていきましょう。
船橋淳
原発で犠牲になったのは人間だけではありません。牛や馬、犬や猫、鶏など多くの生き物が犠牲になり、飢えでたくさんの家畜たちが死んでいきました。
この続きは1月28日のブログを読んでください。