NHKスペシャル「自衛隊と憲法」
少なくとも湾岸戦争のときの海部首相は、憲法9条を踏み越えることはなく、自衛隊派遣のアメリカからの要請を、憲法9条があるから日本は多国籍軍に自衛隊を出すわけにはいかないと、ジョージ・ブッシュに断っていたのです。
にもかかわらず今、アメリカの圧力に屈して、この世界の宝でもある日本国憲法9条を変えて自衛隊を軍にするのかどうかという議論が起きており、その前に安倍首相はまず集団的自衛権が行使できる道をつけようとしています。
安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は集団的自衛権行使をめぐる憲法解釈で、全面解禁を提言する意向を明らかにしたそうです。
そもそも集団的自衛権とは、同盟国などへの攻撃を自分の国が攻撃されていないにも関わらず、実力をもって阻止することができるようにする権利で、日本国民のためのものではないのです。むしろそれは日本国民を危険にさらすことになるものなのです。
自衛隊の任務が拡大した背景に何があったのか。NHKは今回、それを知る機密資料を入手した。そこから浮かび上がってきたのは、この20年間繰り返されてきた同盟国アメリカからの要求。この20年間、憲法解釈を重ね、自衛隊の海外への派遣を進めてきた。この間、何があったのか。
1990 イラク軍クェート侵攻
1992 カンボジアPKO
1993 北朝鮮ノドン発射
1997 日米防衛協力の指針
1999 周辺事態安全確保法
2001 米 同時多発テロ 海自 インド洋派遣
2003 イラク戦争
2006 北朝鮮 地下核実験
2010 尖閣・漁船衝突事件
2012 尖閣諸島国有化
2000年代 戦闘が行われている国の中で活動するようになる
アメリカの思惑
アメリカは1990年のイラクによるクェート侵攻から始まった湾岸戦争で、イラクの行動を覆させるためには日本の協力が必要だといって、ともに取組むことを日本へ働きかけた。アメリカは冷戦後の新しい秩序作りの主導権を握ろうとし、各国に呼びかけて多国籍軍の編成にとりかかる。
対峙する日米
1990年8月13日のブッシュと海部の電話会談。
ブッシュは改めて軍事的支援を要請
「イギリス、フランス オランダ、オーストラリアが海軍の派遣に合意してくれた。
是非日本にも経済面だけでなく、軍事面でもできる限りの支援をお願いしたい。日本が軍事的な一歩を踏み出せば、私たちの仲間に完全に参加したというシグナルを送ることになる。日本の軍事支援は私たちの仲間に参加したというシグナルとなる。」
それに対して、海部首相は
海部元首相はこの番組で次のように語っています。
「ここもやってるあそこもやってる、やってないのは君のところだけじゃないか言われているが、憲法9条に抵触する命令を自衛隊には出せない。9条2項の但し書きでは国の交戦権はこれを認めないと最後のダメ押しまでしているから自衛隊出て行けということはできない。
「戦争の惨禍は身を持って体験しているから戦争は二度とさせてはならない。それを抑えていくのが政治の責任でもありますよ。」とも海部元首相は番組で語っていた。
1990年9月29日 最初の電話会談から二か月後
海部総理とブッシュとの首脳会談
海部首相は、戦後日本が歩んできた道のりと憲法の理念を語った。「日本人は戦後45年間アメリカによってもたらさている平和を享受してきました。一方で日本人は第二次世界大戦中に世界にきわめて深刻な問題を引き起こしたため、いかなる軍事行動にも関与しないことを決めました。そもそもそれがアメリカが作った憲法の枠組みなのです。ジョージ。
そして日本の安定がアジアの安定に貢献しているのも真実です。現在われわれが検討している法案は、軍事支援ではなく非軍事支援に限定したいと思います。」
ブッシュは日本の立場に理解を示した上で、それにかわる速やかな経済的支援を求めた。湾岸戦争への自衛隊の派遣を断った日本は1兆円を超える経済的支援をおこなった。やがれそれは、小切手外交と批難を浴びる結果となる。
揺れる日本
この後日本は、国際社会からの孤立を恐れ、PKOへの参加に向けて本格的に動き出す。
深まる対米支援
今回NHKが入手した国防総省の機密文書の中に、この機をとらえて日本をみずからの戦略に組み込もうという狙いがしるされていた。
「北朝鮮の情報は日本を刺激することができる。ノドンミサイルの技術的な情報だけでなく、北朝鮮の核開発に関する極秘情報の提供を申し出ると防衛庁幹部は色めきたった。アメリカ軍に協力しようという気持ちをかきたてたようだ。
北朝鮮での戦争に備え、日米共同の作戦計画をたてるため何ができるかを知る必要があった。憲法9条は確かに我々が作戦計画をたてる上での障害でした。ただ問題は憲法自体にではなく、憲法解釈の仕方にあるととらえていました。憲法の枠内の中でどのような選択をするかという問題なのです。自衛隊は非常に能力が高く多くのことができます。それをやるかどうかは日本次第なのです。
(1993年~1996年元在日米軍司令官 リチャード・マイヤーズ)
集団的自衛権の行使
日本が直接攻撃をうけない中でアメリカが行う軍事行動。それを支援することはたとえ輸送・燃料食糧の補給でも武力行使と一体化したとみなされ、集団的自衛権の行使につながるとみなされる。→憲法の枠の中での支援の在り方を考えた。
1999年 周辺事態安全確保法
イラク派遣
そこから他国の戦争とまじかに向きあう苦悩が浮かび上がってくる。
隊員の安全を守るためにはアメリカと一線を画す必要がある。
2003年8月19日 国連事務所爆破テロ テロの無差別化→ 泥沼化
アメリカが標的になるたびに不安。
アメリカ軍のとの一体化→ 不可避→ ターゲット化
アメリカ軍のみの支援は占領軍とみなされる。
サマーワでの活動は2年半。派遣部隊は次々危険な状況に直面する。武装集団に取り囲まれたこともある。引き金に指をかける状態になったこともあるが、隊員は引き金を引くことはなかった。一歩間違えたらイラクとの関係悪化を招きかねない状態だった。
ひとりの犠牲者を出すこともなく終えたイラク派遣。
自衛隊は発足から60年。戦闘で亡くなった隊員はひとりもいない。それがこの国の戦後の歩みでもあった。 急速に高まる集団的自衛権の議論。そして憲法9条をめぐる議論はどこに向かうのか。今この国の形が問われる大きな岐路にたっている。