秘密法とレーン宮沢事件
各地に秘密保護法に反対し、廃止を求める会が設立されています。
茅ヶ崎に「ロック秘密法☆ちがさき」が誕生しました。
【名称】 ロック秘密法★ちがさき
『ロック』はLOCK、悪法に鍵をかけて使えないようにするとの
意味です。『秘密法』は、紛らわしい「保護」を外し、この悪法の
本質に近い呼び名として使用します。
http://locksplchi.exblog.jp/22088847/
『ロック』はLOCK、悪法に鍵をかけて使えないようにするとの
意味です。『秘密法』は、紛らわしい「保護」を外し、この悪法の
本質に近い呼び名として使用します。
http://locksplchi.exblog.jp/22088847/
「秘密保護法」という名前が紛らわしいのです。
秘密を保護することに違和感を覚えない人も多いのです。
個人の秘密、国家の秘密は保護して当たり前だと思う人も多く、秘密保護法の中味を読む人も少ないと思います。
でもこの法律は「秘密を保護すること」を目的としているのではなく、国民から情報を隠すこと、国民に情報を秘密にすることを目的にしているのです。
「何が秘密? それが秘密? それは誰にも教えない 何が秘密か、わからなくても ばらしたときには捕まる」 そういう法律なのです。
そういう意味で、茅ケ崎で「秘密法」としたのはとてもわかりやすいと思います。
「秘密保護法」というのは「秘密法」なのです。
秘密保護法は日本の軍事法制と関わりがあるのです。
秘密保護法制の歴史的推移 (2月2日の上映会でもらった資料より)
1899年 軍機保護法 → 1937年 改正軍機保護法 → 1939年軍用資源秘密保護法 →
1941年 国防保安法
1899年の軍機保護法
<目的> 軍事上の秘密の事項または図書物件の保護
<秘密の内容・範囲> 動員・出師(出兵のこと)・国防その他の秘密を要する事項または図書物件(統帥事項中心)
<最高刑> 重懲役
意図的に軍事機密を探知・収集しようとする確信犯の摘発に主眼を置く
戦時・敵国・軍人軍属が主な対象
1937年 改正軍機保護法
<秘密の内容・範囲> 作戦・用兵・動員・出師その他軍事上秘密を要する事項または図書物件
秘密の種類範囲は陸海軍大臣の命令で定める
戦時、敵国の区分なく・全国民が対象
<最高刑 > 死刑
この軍機保護法のもとで、レーン宮沢事件が起きたのです。→ http://vpress.la.coocan.jp/miyazawa.html
秘密保護法成立によって、この事件を思い出して、秘密法の怖さを多くの人に知ってもらうために各地で上映会が行われています。私も先日藤沢でみてきました。
レーン宮沢事件とは↓
↑に詳しく書かれていますが、1939年北大生宮沢弘幸さんが北海道を旅行中に見聞きしたことをレーン夫妻に話したとされることが軍の機密であり、機密を漏えいしたという罪に問われたのですが、宮沢弘幸さんが話したとされる根室の海軍飛行場のことは、当時リンドバークが不時着し、リンドバークは英雄扱いで、根室飛行場も新聞に写真が載り、国民はみんな根室の飛行場のことは知っていたことなのだそうです。そのことを話したから軍の機密を漏えいしたとされたのです。
また海軍や陸軍の講習会に参加して、そこで語られたこと、魚雷の性能、戦車を駆使した作戦について、など軍事上の常識をレーン夫妻に話したことが軍事機密を漏らしたこととされたのです。
当時軍は学生を集めて、講習会をしており、それは軍が学生の協力を得たいから軍事講習会を行っており、講習会で話されたことは秘密でもなんでもないはずだったのです。
1941年12月8日、宮沢弘幸さんとレーン夫妻は逮捕されたのです。
宮沢弘幸さんは戦後釈放されましたが、寒い網走の獄中での拷問で健康を害し、スパイ容疑をかけられたまま、1947年2月22日に亡くなっており、宮沢弘幸さんご本人はもちろん、ご家族も苛酷な、つらい思いをされました。2月22日は奇しくもこのブログを書き始めた昨日です。
今も宮沢さんの容疑は晴らされておらず、秘密保護法に反対する全国ネットワークに<北大生・宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」の真相を広める会 >も参加しています。
この事件が起きるまで、宮沢さん家族とレーン夫妻は仲良くしていたのに、宮沢弘幸さんが逮捕されたのはレーンさんが宮沢弘幸さんから聞いたことをしゃべったからだと宮沢さんのご両親はレーンさんに不信感をもち、戦後、宮沢弘幸さんが亡くなった後、レーン夫妻が宮沢さんのお家を訪れて、弘幸さんの霊前に花束を供えようとしたが、弘幸さんのお母さんはレーン夫妻を追い返したそうです。
しかし、レーン夫妻も宮沢弘幸さんと同様に同じ疑いをかけられた被害者だったことがわかって、弘幸さんの妹の秋間美江子さんは、レーン夫妻のお墓で謝ったそうです。
国家秘密法制は、人間と人間の間の友情や信頼を切り裂き、人間の絆を切って、そこに相互不信、相互疑惑、憎悪というのものを作り出して、国と社会から活力を奪ってしまうというのが、この事件からわかることです。
宮沢弘幸さんの妹の秋間美江子さん(87歳)はアメリカに住んでいますが、弘幸さんや家族が体験したことを日本に来て語り、国家秘密法反対運動に大きな貢献をされました。
国家秘密法は1985年に、野党の反対もあり、廃案となったのですが、秋間美江子さんはわざわざアメリカから来て、国会でも話されたそうです。
この映画は1993年に作られ、映画の最後で、秋間美江子さんは「これからの時代の人たち、頑張ってください」と言われているのを聞いて、今また、秘密保護法が成立して、これをなんとかしないといけないという思いで映画をみていたので、その言葉が重く心に残っています。
今、秋間美江子さんが、弘幸さんの命日の22日に東京都内で開かれる集会で、特定秘密保護法の廃止を訴えるために、病身を押して車椅子で来日されているそうです。
↑
成田空港に降り立った秋間さんは、「日本はせっかく民主主義の国になったのだから、人を黙らせる法を廃止してほしい。今からでも間に合う」と語りました。
しかし、法律というものは、書いてあることがすべてです。つまり法律は条文(文言)がすべてです。」 と2月11日のブログに書きましたが、それだけでなく、ひとたび、こういう法律ができてしまうと、どんどん変えられていくのです。
軍機保護法から改正軍機保護法へと秘密の内容も範囲も広げられ、最高刑も死刑に引き上げられています。
1941年に制定された国防保安法 ===秘密保護法のモデル
<制定理由>
軍事上の秘密を保護すべき法規は存在しているが、広範囲に亘る国家の重要機密を保護すべき法規、並びに外国の行う宣伝、謀略を防止すべき法規が不備であること。(柳河法相答弁)
<秘密の内容・範囲>
国防上外国に対し秘匿することを要する外交、財政、経済其の他に関する重要なる国務に係る事項。
客観的基準なし=何を以て国家機密をするかということ自体が、外国に対し国家機密の一端を察知させることになるとの理由で、国家機密の内容範囲が法令中に明記されず。
国家機密の指定は行政官庁(主務大臣)の主観的判断。
<最高刑>
死刑(他の法令にない厳罰主義)
☆上訴権・弁護権、裁判公開原則の制限、検事に強大な権限を付与。
控訴審の廃止(上告のみ許可)=事実上の一審制
弁護人は司法大臣が指定した弁護人から選び、一人に制限。
口頭弁論での機密・秘密事項の陳述禁止、記録の謄写・閲覧の制限
☆罰則対象の拡大(未遂、教唆未遂、誘惑、扇動、予備、陰謀など)
秘密保護法がいつのまにか、国民の知らないうちに強化され、国防保安法のようになっていったら、今、海渡弁護士たちが最初に秘密保護法で捕まった人には1000人の弁護団を組んで、守ると言ってくれていますが、弁護人まで決められてしまい、しかも一人に制限されてしまったら、私たちを守ってくれる人はなくなります。
何が秘密かわからないのですから、私たちは身を守るすべはないのです。
話もできない世の中になってしまいます。
秘密法をこのまま、次の世代に渡すわけにはいきません。
秘密保護法廃止を訴える国会請願署名も始まっています。
どうか署名のお願いがあったら、協力してください。
署名、チラシ配り、なんでもできることでいっしょに声をあげていきましょう。