中村哲さんの講演会

5月31日に中村哲さん 講演会 がありました。
 
中村哲氏 略歴
1946年 福岡市生まれ。医師
パキスタンアフガニスタンの無医村地域で医療活動に従事し、空爆下のアフガニスタンで食糧配布を実施。現在は、灌漑・農業事業を中心に活動している。83年に中村さんの医療活動を支援する目的で結成された「ペシャワール会」(福岡市)の現地代表。PMS(平和医療団・日本)総院長。(チラシより)
 
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アフガニスタンの写真を見ながら、アフガニスタンでの活動のお話を聞いていて、中村さんたちの努力で砂漠が緑の土地になっていくのを見て、思わず、会場から拍手が起こりました。
大切なのは水なのだと中村さんは言われました。
 
水が通り、木が増えて、アフガニスタンでもっとも豊かな地域になっていく。
砂漠で田うえができる。水があればなんでもできる。
遊牧民が来る。草がはえる、魚がくる。 それを狙って鳥がくる。そこに森ができる。
自然がくれた最大の贈り物が水。
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エネルギー問題も水で解決。植林によって膨大な量の木材ができる。
肥料も自分たちでつくる。(堆肥)
生産量が少なくても、欲張って農薬など使わない。そういうことをしているとやがて土地は疲れる。
全長27キロの流域が豊かな村になっていく。
そこをモデルにさらに広げていく計画。
15年かけて築き上げてきた。用水路沿いの15万人は助かったけど、周りも広げていかねばならない。ひとりでも多くの人を助けねばならない。
 
戦争なんかしている暇がない。いかに助け合って生きていくか。
それがアフガニスタンの人に求められているもの。
干ばつ、渇水はまだ続いている。
 
1時間ほどのお話のまとめに次のように話されました。
 
自分のためだけに生きている人間はありえない。
ひとりで生きられる人間はいない。
人間は助け合う。助け合うことで価値をもつ。
 
アフガニスタンの人たちは、貧しいけど、
自分の孫のため、子孫のためを考える。
今、自分たちは苦労して恩恵にあずからないけど、先で自分の故郷が続くように、自分の子孫が住めるように、と考える。
そういう配慮が今の日本にはない。
 
今の日本は先のことはあまり考えない。今だけ、金だけ、自分だけ。これが多い。
 
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確かにその通りだと思いました。
思い浮かぶのは原発です。
六ヶ所村に高濃度放射性物質がいっぱい来ることに不安がないか、という報道ステーションのインタービューに
「それは次の世代が考えること」と六ヶ所村議会議長橋本猛一氏がこたえたのです。(2013年7月17日)
私はそれを聞いて、腰が抜けそうになりました。
そのことを書いているブログがあります。↓
 
また福島原発で貯めきれなくなった汚染水を海に流すことに同意した漁協の人たち。今の生活に対する補償などを考えて苦渋の決断だったかもしれないけれど、海を汚すことに同意した。今しか考えていない例でしょう。
 
原発再稼働も今、私たちが生きている間に地震津波がこなければいいというものではない。
中村さんが指摘されたように、今の日本は「先のことをあまり考えない、今だけ、金だけ、自分だけ。」
 
阿部ともこさんとの対談
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アフガニスタン戦争は集団的自衛権で始まった。
中村さんは1984年からアフガニスタンに関わっておられる。
アフガニスタン侵攻のおりに中村さんに国会にきてもらった。
イスラム国の問題はアフガニスタンではどのようにとらえられているか。
 
イスラム国は残虐な行為をしているがアフガニスタンの反応は複雑。共感を持つ人もいる。されるだけのことをしたのだという人も多い。作業員も助っ人に行った人が多いが、日当がいい。
敵の友は敵。
喧嘩相手の助っ人がきたら、喧嘩する。
日本はそのようなことになってはいけない。
しただけのことはされている。日本がそんなことになってはいけない。
 
安全保障の次に憲法改正に続いていきそう。
日本の憲法と中村さんの活動とどのような関わりがあったか。
 
憲法の意義というものを知らずに過ごしてきたが
現地に行って
集団的自衛権は言葉のまやかしで、これは国際連合軍に参加すること。
結局罪もない人を殺す。作らなくてもいい敵を作る。
制服を着た自衛隊も好感をもたれているのを見て、あらためて憲法9条の威力というものを知った。
それによって得られるものは、日本人の生命の安全。
日本人であるがためにそれだけで守られるということが過去にあった。
憲法9条によって、軍事行動が制限される。私たちにとって大きなことであると思う。
 
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400人以上の人の参加でした。