# ふじさわ9条の会11周年記念講演とひょっこりひょうたん島
昨日23日はふじさわ9条の会11周年記念講演が湘南台文化シアターでありました。
ふじさわ・9条の会から挨拶。 横のキルトは日本国憲法9条を表した平和のキルト。
藤沢の8つの地域九条の会から今年は六会9条の会の代表者が挨拶。
戦後ややあって「日本国憲法」ができました。米軍の押し付けと言う人がいます。そうでないと言う人もいます。論争もいいですが、「良ければ、良い」と思います。
第9条が「日本は戦争をしない。軍隊を持たない」と謳っています。一方、日本も加盟している国連の憲章はその51条で加盟国に対して3つの「戦争する権利」を保障しています。①個別的自衛権、②集団的自衛権、③集団安全保障です。歴代政府はこの憲法と憲章を何とかすり合わせ、「専守防衛」の理念から個別的自衛権だけを認める解釈を戦後連綿と採ってきました。
2004年6月、「9条の先行きが危ない!」と当時の文化人・学者9人が「九条の会」を結成、「9条を守ろう」とアピールを発しました。同様に懸念を抱いていた国民も少なくなく、アピールをきっかけとして瞬く間に全国に「地域の」「組織の」「学校の」9条の会が発足、現在7,500と言われています。
私たちの会も、夫々その一つです。「ふじさわ・9条の会」は2005年に発足しました。現在賛同者はおよそ600人弱。その目標は、「9条の文言を変えない、戦争させない、平和を続ける」というものでした。
が、思わぬ事態になりました。現政府は96条に則った明文改憲は無理と考え、文言を一切変えずに解釈を180°変換、今まで認めてこなかった集団的自衛権を、時の政府が「日本の存立が危ない」と判断しさえすれば自衛隊が日本の領土・領海・領空の外へ出て戦争をすることができるようにしました。「平和安全保障関連法制=戦争法」の成立です。
2013年の「特定秘密保護法」成立、14年の「集団的自衛権行使の閣議決定」、昨年の「戦争法」の成立。これらの経過の中から、「新しい運動の先端をゆく」大学生のSEALDs、「学生ばかりに任せていていいのか!」と学者の会、「誰の子供も殺させない!」とママの会、「大学生に続け!」と高校生のT-ns SOWL。
一人ひとりが自ら感じ、考え、言葉を探し、集まり、声をあげて、「同じ行動をする人たちがこんなにいるんだ」と互いの存在を確かめ合い、「私たちが主人公、政治を変える!」と確信する。新しい「民主主義の覚醒」。
これらの潮流のベースに、私たちの微力ながら息の長い行動があったと信じたい。私たちは、10年以上前に今日あるのを予見していたのかもしれません。当面の目標は、突然私たちの目の前に立ちはだかった戦争法の廃止です。最終的には、衆参両院で廃止法案を提出・可決するしかありません。そのために、現野党4党の共闘を強力に後押しし、その側面からの援助になる「2000万人統一署名」を完遂しなければなりません。
慶応9条の会からの挨拶。
慶応9条の会は9条に関する問題だけではなく、貧困などさまざまな社会問題に取り組んでいるが、今年はそれだけではだめだと実感させられている。
基本的人権だけではなく、近代国家の基盤となるものをないがしろにするものだと思う。
左か、右かという問題ではなく、基盤を壊すものだから、若者として絶対に反対していかないといけないと思う。
先人が守ってきた立憲主義、民主主義を掲げる日本国民としても、学問を学ぶ学生のひとりとしても守っていかないといけない。
僕は20才ですが、10年後に30歳 20年後に40歳になり、結婚して子供のいるかもしれない。
そのとき日本が戦争できる国になっていて、殺し、殺されることに巻き込まれていたくないし、そんな日本を子どもに見せたくない。
それを防ぐためにも参院選を目の前にして、僕たちはさまざまな人と連携しながら、頑張って、学生にも呼びかけて、運動していきたい。
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日本は世界を変えられる立場にある。
講師の方を呼んで、教えてもらって、沖縄をまわった。
講師の方の言葉が冒頭の「日本は世界を変えられる。」だった。
沖縄にある日本の70%の米軍基地をなくす。
日本がそれをはねのけたら世界は変わる。
戦争法を廃止にすることはその段階だと思う。
日本の民主主義は与えられたものだというが、ここにきて、初めてじゃないかと思うくらい
市民革命的な動きが始まってきている。
一回でもデモに行った、集会に行った、という人も国民の力で戦争法がなくなったという自信になる。
政治に対する知識が深まる。
戦争法が違憲だということに気がつかないのは無知。
戦争法を廃止するということは今後の日本に大きな意味があることだと思う。
頑張って行きましょう。
ピアーチェ・カルテットの演奏。4曲目は「ひょっこりひょうたん島」のテーマだった。
井上麻矢さんの講演。
この日のお話で、私は「ひょっこりひょうたん島」のエピソードが一番、心に残りました。
私はひょっこりひょうたん島を実際にテレビで見で育った世代だし、高校の文化祭ではプラスバンド部が「ひょっこりひょうたん島を演奏していました。
井上ひさしの作品である「ひょっこりひょうたん島」はテレビの創世記の人形劇。
麻矢さんは、実際のひょっこりひょうたん島のテレビを見て育った世代ではなくて、幼いころだったから記憶がないが、どこに行くにも車の中でひょうたん島の音楽が流れていたそうです。音楽の原風景として残っている、ということです。
麻矢さんのお話。
最初に言葉ありき。言葉を大事にしてきた作家だから、言葉を中心にした作品を選んだ。
言葉が間違って使われたらどうなるのだろうか。井上ひさしはどう伝えていったか。
言葉に命をかけてきた人たちの話。
もし言葉が間違って使われたとしたら。
それが個人と個人ではなく、国が間違って国民にしたら、国はどうやって責任をとるのだろう。
そのことを伝えている戯曲があった。それが「マンザナわが町」
アメリカはどう謝ったのか。国の謝り方を描いたのが「マンザナわが町」
次に「ひょっこりひょうたん島」
子供たちが遠足に行ったとき、山が噴火して、ひょうたん型をした島が分離して、ぷかぷかと浮いていく。
その中で、侵略にあったり、災害が襲ってきたり、人が攻めてきたり、まさに国の縮図。
そこで戦わなければならないのは、弱い人たち。子供たちが象徴としてでてくる。
子供たちはあらゆる天災、人災と戦っていく。
何を武器にして戦っていくか。
これは「智恵」を武器にして戦っていく。
みんなで知恵を出し合って、弱い立場の人間がひとつひとつ問題をクリアしていく。
それがひょうたん島の一番の、井上ひさしが考えた国の理想の形。
井上ひさしは国の理想の形というものを生涯、描いてきた。
代表作となる「吉里吉里人」も、ある日突然、東北地方で国が成り立ち一つの国家を作っていく。
ひょうたん島は後々井上ひさしの作品に多大なる影響を与えていく。
ひょうたん島から波及して井上作品が生まれたといっても過言ではない。
昨年(2015年)6月24日の国会包囲のとき、ドン・ガバチョ大統領が国会包囲に参加していました。
麻矢さんの話。
井上ひさしは、癌になったとき、まだ長崎と沖縄について書いていないと言った。
広島については「父と暮らせば」を書いた。原爆投下から3年後の広島の親子を描いた。
原爆で死んでしまったお父さんが生きている娘に何を残していくかという話。
これを書いてから沖縄を書きたいと父は思っていた。
長崎で原爆に巻き込まれた人についても書いていない。
ぜんぶの仕事をキャンセルして、このふたつを書こうとした。
「昭和の時代に生きた作家だからどうしてもこの二つについては書かねばならない」と言った。
しかし短い闘病生活160日で亡くなった。
2013年「木ノ上の軍隊」を書く予定だった。伊江島でガジュマルの木ノ上に逃げたふたりの兵士が生き抜くという話を書こうとしていた。
長崎は「祈りの長崎」だからお母さんと息子の話にしようかということは考えていたが、構想ははっきり決まっていなかった。
去年、父と同年代の山田洋次監督が映画にしてくれるということになった。
演劇にこだわったけど、これは父からの願いではないかと思って、山田洋次監督にお願いした。
「母と暮らせば」は若い人たちが多く見に来てくれた。それはとても大事なことだったと思った。
長崎は広島の原爆ドームのような戦争の爪痕がほとんど残っていない。
「母と暮らせば」はそういうことではなく、どこでどういう形で命を奪われるかわからない時代に、自分は大事な人に何を伝えて死んでいくのか、そしてまたそれを受け取った残った人たちは、自分の中で消化して次の世代にどういうふうに伝えていくか、ということが一番大事になっている。
この映画は監督が「大切な人をなくしたすべての人に見てもらいたい」と言っている。
これが最終的に掲げたこの映画の意味。
「母と暮らせば」は原爆で息子を亡くした母親の話だけど、本当に命の大切さ、大事な人の奪われることの辛さ、その死から私たちは何を学んでいくのか。
昨年、戦後70年で、「父と暮らせば」「母と暮らせば」「ひょうたん島」「マンザナわが町」を通して井上ひさしが何を伝えたいかということを考えた。
今年は戦後70年+1でとっても大切な年である。
今年の演目を考えている。
こまつ座の今年の3本。
「頭痛 肩こり 樋口一葉」
蓬莱竜太さんは30代の作家。戦後生まれで戦争を実感してないので怖くて書けないと言われたが、
これから世の中は戦争を知らない世代ばっかりになる。そういう人に対して戦争を伝えていかねば
ならないと麻矢さんが説得したそうです。 戦争を知らない親父が戦争を知らない子どもたちにどう
やったら戦争を伝えていけるかな、ということなら書けるということでそうコンセプトで行くことになっ
た。完成までに2年かかった。
小説「母と暮らせば」井上麻矢 著。 それを元にして朗読劇の活動もしていこうと思っている。
声をかけてください、ということです。
麻矢さんは「『母と暮らせば』は演劇にもしていこうと思っています」とも。
井上ひさしの言葉
自分のいる世界で自分なりに戦えばいい。(その思いで作ったのがこまつ座だと思う。)
憲法9条は未来の希望なんだ。
麻矢さんからの言葉。
共に頑張っていきましょう。もし、父の声が聞きたと思われたらぜひこまつ座に足を運んでください。
私を見つけたら声をかけてください。いろんなお話をさせてもらいたい。
今日は父の言葉が77入っている「夜中の電話」を買ってくださる方にはサインがついてくるという試みもあるそうです。
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麻矢さんの講演につづいて
SEALDsの福田和香子さん、ママの会の石井あさみさん、明日の自由を守る若手弁護士の会の太田啓子さんのクロストークがありました。
SEALDsの福田和香子さんのお話が印象的でした。
個人で名前、大学を出すのはそれなりのリスクを背負わないと誰もついてこないから。
これくらいのことがリスクを背負うというのも問題で、
フランクにデモができる社会にしたいから、自分の身元をあきらかにして人の前に立つ。
選挙に勝って、終わりじゃない。まだまだやることがある。
長い目で見て、100年単位で見て、自分たちが理想とするような民主主義が生きている社会を築くためには、このくらいのリスクはなんともない。
また
「世代によって伝わりやすい見せ方もある。音楽もヒップホップの音楽を中心にサウンドカーを使ったり、
インターネットの使い方など、311以降、メディアは自分たちが作らないといけないでしょう。」とも言っていました。
5月3日は憲法集会があります。
去年は3万人集まりましたが、今年はもっと多くの人が集まリましょう。
いっしょに参加しましょう。