リレートーク(1):宮﨑 礼壹さん、上野千鶴子さん 10・8日比谷野音大集会&パレード
↑右から
宮﨑 礼壹さん (元内閣法制局長官)
青井未帆さん(学習院大学教授)
中野晃一さん(上智大学教授・立憲デモクラシーの会呼びかけ人)
三木由希子さん(NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長)
集団的自衛権とは何か?
自衛権と名前がついているから自己防衛権の一種だろう考える人がいまも大勢いる。
それは違う。
我が国が攻撃をうけていないのに、自国と密接と関係にある他国が第三国から武力攻撃を受けたとき、その第三国に対し自衛隊が武力を行使すること。
これが集団的自衛権の定義。
それは先制攻撃になってしまうと考えてきた。
集団的自衛権のいわゆる部分容認として、日本への武力攻撃がなくて、他国への武力攻撃があった場合、我が国の存立がおびやかされ国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が認められれば、自衛隊の武力行使ができるというように憲法解釈を変えるた。
言葉の上ではわずかな拡大のように見える。
そういって評価する人もいる。
しかし、読みようで、いくらでも広く解釈できる適用できる基準。
歯止めの名前に値しない。
現に7月の国会集中審議の際、ふたつ注目すべき答弁があった。
一つは安倍総理の答弁。
ホルムズ海峡をイランが機雷封鎖することになったとき、中東に大部分の石油を依存する日本にとって死活的利害にかかわる。従って新三要件に該当する可能性がある。経済的利益であっても明白な危険にあたる
集団的自衛行使になりそうなのは、米国との関係。
このように限定になっていない。
もともと限定できる筋合いのもではなかった。
集団的自衛権を一般的にいって発動するとき、自分の国の国民や納税者に対して、これは自分の国に対して利害はないけども派兵すると説明する国がどこにあるか。
必ず自分の国の死活的利害に関わっているのだと説明するにきまっている
法制化の作業は来年の春以降と言われている。
事実上の対米約束となっていこうとしている。
ぼんやりとしていられない
声をあげて広げていかないといけない。
上野千鶴子さん
10月8日は私には特別な日です。
47年前のこの日、京大生の山崎ひろあき君は羽田闘争で亡くなった。
私は彼の同期生。
彼の死を受けて、山崎君追悼デモに参加したのは生まれて始めてのデモ体験。
後3年で山崎君の死から50周年になる。その間に私は高齢者の仲間入りしたが、
彼は19歳で時間が止まったまま。
10、8は反省闘争でした。
まだ戦争の記憶が生々しかったころのこと。
あれから半世紀以上だって、日本国民の5人の4人が戦後生まれになったというのに
私たちは再び他人の戦争に巻き込まれようとしている。
来年は戦後70年。私たちは戦後をずっと生きてきた。
この戦後を戦前にしてはなりません。
憲法を解釈だけで変えられる。だから7月1日は壊憲記念日。
「かいけん」の「かい」は破壊の「かい」
今の政権はすでに憲法を破壊しつつあります。
今日は皆既月食の日。お月さまも泣いている。
司法の中立性がそこなわれた判決だったのに解釈改憲の根拠にするなてとんでもないこと。
司法が自ら司法の信頼を失うようなことをすれば日本は法治国家ではなくなる。
最近、司法の信頼を取り戻すような画期的な判決があった。
大飯原発差し止め訴訟の福井地裁の判決。
判決文は、生命の価値と経済活動の自由とを天秤にかけてはならないと、きっぱり言った。
法律の専門家たちは法に対する信頼を取り戻す責任がある。
法が政治に左右されるほど空疎なものなら、皆さん方には自分の職業に誇りをもつことができるのか。
内閣法制局の人たちもそのもとで働く人たちも法の専門家。彼らは自分の仕事にほこりを持たないのか。
こんなことを望んだわけではなかったのに。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。
かつて私たちが若者だったころ、こんな世の中にだれがした、と大人たちに詰め寄った。
私たちはこんな世の中にだれがしたと、若者につめよられたら言い訳がたたない。
あのとき、あなたはどこで何をしていたの?どうして戦争を防げなかったのか、と問われたら、答えられない大人にはなりたくない、と思います。
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リレートーク(2)青井未帆さん 中野晃一さん http://blogs.yahoo.co.jp/mknony0623/19454905.html